危険地報道報告会リポート [3] アピールと質疑応答

■安田純平さん解放に向けたアピール

◇報告者 土井敏邦
安田純平さんは私たちの会を立ち上げた直後から、私たちの会に出てきてくれまして、私たちが出した『ジャーナリストはなぜ、戦場に行くのか』(危険地報道を考えるジャーナリストの会、集英社新書)の一部を彼が書くことになっていました。

彼が拘束された直後、私たちはどうすべきなのかを協議しました。安田さんと親交の深かったジャーナリストたち、そして海外から情報を集めて、どうすべきなのかを議論しました。その時、私たちは、「いま、下手に動くと、彼にちっては危ないかもしれない、しばらく状況を見よう」ということになりました。私たちはしばらく様子を見ていました。

ところが去年(2016年)の5月29日、安田さんがネットで「助けてください。これが最後のチャンスです」という紙を掲げて、書かされたのか、書いたのか、分かりませんでしたが、憔悴しきった彼の姿を見た時に、もう我々は動かねばいけないという決意をしました。

それでまず私たちがやったのは、日本政府への要請をすること、それとヌスラ戦線(現・シリア征服戦線)の指導部に解放のためのアピールをすることでした。そのために英語とアラビア語でアピールを出すことにとしました。ところが、その直前、安田さんの関係者の方から、「政府は動いている。障害になるからやめてほしい」という要請をうけまして、私たちはいったん退きました。

でも、これは安田さん個人の問題だけではありません。これは危険地を報道する私たちジャーナリスト全体の問題です。ひょうとしたら将来、我々が安田さんになるかもしれない。将来起こり得ることです、どんなに用心しても起こり得ることです。

ですから私たちは将来のためにも、政府と対応を協議する必要があると思いました。それで私たちは去年の7月、外務省に向かいました。外務省領事局邦人テロ対策課の課長補佐に会いました。私たちは「自分たちが持っている情報は全部出します。だから、どのような進展になっているか教えてほしい」と訴えました。しかし、課長補佐は「事案の性格上、お答えは控えさせていただきます」という答えを繰り返すだけでした。一切答えようとしません。私は疑いました。「外務省は動いていないのではないか。そして、動いていないことを隠そうとしようとしているのではないか」と疑念を抱いたのです。

もし、これが大企業の駐在員や大手メディアの特派員だったら、外務省は同じような対応をするでしょうか。おそらく、わたしたち、危険地を取材するフリーランスに対して、彼らには、「国民に迷惑をかける困った連中だ」という蔑視と偏見があるのではないかと私は感じました。

それは政府だけではないと思います。日本の社会の中に、その空気はあります。その端的な例が、後藤さん事件の直後にシリアに入ろうとした杉本カメラマンに対して、外務省がパスポートの返納命令を出したとき、ある世論調査では75%が賛成したという結果が出ました。それは私たちの仕事が十分理解されていないからだと私は思っています。だからこそ私たちはこの会を立ち上げ、私たちはなぜ、危険地に行って報道するのかをきちんと社会に伝えなければならない。そのための活動をしようというのが、この会を立ち上げた理由の一つです。

いまのグローバル化した世界の中でおこる戦争や政変、自然災害は、少なからず日本に影響してきます。そういう現場へ、日本人のジャーナリストが直接行き、日本人の立場で、日本人の感性で、日本人の視点で、日本に伝えていくことは絶対必要だと、私たちは思っています。それが憲法で保障された「国民の知る権利」に寄与することだと思います。

さらに言えば、私たちがもたらす情報は、そのような事象に対して、日本がどのように対応していくべきなのか、を判断するための貴重な材料だと思います。そういう仕事を私たちはしていると思っています。そのような重要な仕事をしているという自負と誇りを私たちは持っています。
では、私たちのアピールを読み上げます。

【安田純平さん解放のための日本政府へのアピール】
2015年6月にジャーナリストの安田純平さんがシリアの北部でヌスラ戦線(現・シリア征服戦線)と見られる武装組織に拘束されて2年が経とうとしています。16年5月に、「助けてください これが最後のチャンスです」と日本語の紙を掲げる安田さんの画像がネットで公開されて以来、新たな情報もありません。

安田さんと同時期にヌスラ戦線に拘束されたスペイン人ジャーナリスト3人が16年5月に無事解放され、同年9月には約1年前から拘束されていたドイツ人女性ジャーナリストも解放されました。それぞれスペイン政府、ドイツ政府が解放のために動いたと報じられています。

安田さんの画像が出た日の会見で菅義偉官房長官は「邦人の安全確保は政府の最も重要な責務」と公言しました。しかし、安田さんの解放について、政府が積極的に動いている様子が見えません。

15年1月にジャーナリストの後藤健二さんが「イスラム国」(IS)に拘束され、殺害された事件で、日本政府は「テロリストとは交渉しない」という姿勢を押し通し、解放につながる有効で実質的な交渉ができませんでした。当時はアメリカ政府も日本政府と同様の立場でしたが、15年6月に方針を変更し、「人質の安全と無事に帰還させることが最優先」とし、人質の家族が解放のために身代金を支払うことを認め、政府が家族を支援するためにテロ組織と連絡をとるという新たな対応策を打ち出しました。

米国は方針を変更する前も、自国民の保護に積極的に動いていることが知られています。2014年8月、アメリカ人ジャーナリストがヌスラ戦線に2年間拘束された後、解放された時、カタール政府が仲介したことが分かりました。当時のケリー国務長官は「2年間、政府は解放を実現するために、力になってくれる者たち、その手段を持つ者たちに緊急の援助を求め、20ヵ国以上の国々と連絡をとった」と明らかにしました。

安田さんを解放するためには、シリア征服戦線(ヌスラ戦線)と関係の深い「第三国」の協力が不可欠です。それには日本政府の働きかけによる政府レベルの交渉が求められます。

4月4日にアサド政権軍によって化学兵器が使われ、多くの民間人の犠牲者が出たシリア北西部のイドリブ県は、安田さんが拘束されたとされる場所です。4月7日、アメリカによるシリア攻撃によって、シリアをめぐる情勢はさらに悪化することが予想されます。現地の住民の安全とともに、安田さんの安否も気遣われます。救出を急がなければなりせん。

情報が少ない中、安田さんのご家族には不安、焦り、疲労が募っていることは想像に難くありません。安田さんの一日も早い帰国が実現するよう日本政府が中東諸国や欧米と連携しつつ、最大限の努力をするよう求めます。

2017年4月15日  「危険地報道を考えるジャーナリストの会」

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