危険地の取材は誰がどう判断して赴くのだろう? ~311福島第一原発事故への組織メディアの対応から、「ジャーナリストの報道する使命と安全確保の軋み」と「正しい自己責任」について考える その1 / 五十嵐 浩司(いがらし こうじ)

危険地にジャーナリストが取材に赴くとき、だれがどうやって安全を判断するのか。「報道する使命」とジャーナリストの「安全確保」のバランスは、どうとるのか。
311東日本大震災で福島第一原発の1号炉が水素爆発を起こしたのは、地震が起きた翌日の2011年3月12日のことだ。その日から(まあ、大げさに言えば、だが)こんな疑問が頭を離れない。

■なぜ、組織メディアを考えるのか

「そりゃあ、ジャーナリストが自分で考え、自分で判断することだ」と、「危険地報道を考える会」のフリー・ジャーナリストなら即答するだろう。その通り。ただ、私もいま、記者会見などでは「フリー・ジャーナリスト」と僭越ながら名乗らせていただくのだが、出自は組織メディアにある。だから、テレビや新聞、通信社といった組織メディアの「社員」として働くジャーナリストのことをついつい考える。

また、311の発災当時、信頼できる情報をどこから入手したかという問いに「NHK」「新聞」「ラジオ」「民放テレビ」を挙げた回答者が多いことは、さまざまな調査が示している。こうした媒体で報道や情報提供を担っていたのは、組織メディアの「社員」ジャーナリスト達だ。

だからこそ、なのである。
日本の報道の、少なくとも量的には相当部分を担うジャーナリストが、たとえば放射線量の高い福島第一原発の周辺地域に立ち入って取材しようとする時、その判断は誰が、どういやって下すのか。そこをきちんと考えたておきたい。

なぜ、この問題にこだわるのか。
福島第一原発1号炉の水素爆発の後、組織メディアの多くはそれぞれの「原発事故」対応マニュアルに従い、自社の取材陣に30㌔圏内や20㌔圏内からの退避を指示した。取材者の安全を確保するのは、組織メディアだろうとフリー・ジャーナリストであろうと当然のことである。ところが、福島第一原発事故ではこの退避がその後、組織メディアの報道に対する漠然とした不信感の一因となった。

福島県南相馬市の櫻井勝延市長(当時)は発災から約2週間後にYouTubeで、市民がまだ区域内で生活しているのに日本のマス・メディアがまったく取材に来ないと批判し、これを支持するコメントが殺到したことを覚えていらっしゃるだろうか。

櫻井氏2012年11月に日本外国特派員協会(FCCJ,東京)で会見した際、このYouTubeでの発信の後に「世界中のメディアが取材に来たが,日本のメディアが南相馬に来たのは6月だった」と指摘し、「日本のメディアは人々に寄り添っていない」「メディアとしての使命感を持っていない」と批判している。(むろん、櫻井氏の発言に対し、「あそこにはもちろん毎日新聞もいた・・・地元紙もいたんですよ」と、毎日新聞で311取材の指揮を執った成田淳・元東京本社編集局長が反論していることは明記しておきたい)

放射線量が高く住民の帰還が制限されたため、311から3年が過ぎても津波に襲われた墓地も整備が進まない。日中だけ立ち入ることができたので、住民がときおり花を手向ける=2014年2月、南相馬市小高地区で、五十嵐写す

■「横並び」「マニュアル遵守」という負の文化

私は311の約1年後に組織メディアを離れ大学に移ったのだが、当時の学生の間に「フリー・ジャーナリストや外国メディアの人たちが本当のジャーナリスト。新聞やテレビは本当のことを伝えない」といった空気が強かったのは間違いない。いま、311の記憶と関心が薄れるなか、学生たちの組織メディアに対する「漠とした不信感」は表だってはいないが、それは信頼が回復したからではなく、そもそもメディアや報道について切実なものとして考える機会が少なくなったからだろう。

そこで考えるのが、「報道する使命」とジャーナリストの「安全確保」のバランスを組織メディはどう実践していけばよいのか、なのである。
「組織と個人」が、若いころからの私の関心だったという背景はある。

もう一つ。イラク戦争の際、日本メディアが攻撃の対象になりつつあるという判断で、全国紙などの責任者が集まりをもち、記者をイラク国内から一斉に引き上げたことがある。当時、国外で勤務していた私は怒りを覚えた。自らの組織の判断としてジャーナリストを引き上げる判断があってもいい。むろん、「最大限の注意を払って残す」という判断もありうる。だが、責任者の会合を開いて、ほぼ一斉に横並びのように引き上げるとは! 私たちジャーナリストの仕事の本質に反してはいないか。

福島第一原発1号炉の水素爆発の後、多くの組織メディアが見せた対応は、「横並び」ではない。それぞれが自らの組織の判断を示した結果、多くが「マニュアルや政府の指示に従って撤退」となったのである。

だが、そこにみえる「マニュアル厳守」の生真面目さ。例外をなかなか認めない柔軟さに欠ける組織の論理。そこに「横並び」と相通じる、自分が身を置いてきた日本の組織メディアのある種の「負の文化」が示されているように私には思えるのである。

遅まきながらではあるが、先に引用した毎日新聞の成田・元編集局長のコメントは、私も加わる研究会が行ってきた「311に組織メディがどう対応したか」のインタビューからである。林香里東京大学大学院情報学環教授ら4人で作る「災害と報道研究会」の作業で、2013年から全国紙や通信社、NHK、民放在京キー局の「311報道に責任ある立場で関わり、組織の経営・運営にも関与する人物」に聞き取り調査を行ってきた。

これから私が引用する日本の組織メディア側の発言は、とくに明示されていない限りこの聞き取り調査からのものである。その内容は2018年3月に公開される。「災害と報道研究会」の研究報告書『トップが語る3・11報道 -―主要メディアは何を考え、何を学んだか』、またはウエブ・ページ(www.311hodokensho.org )を参照いただきたい。

■「仲間の安全の確保は最大の問題」。その通りですが…

日本のマス・メディアが「原発事故によって取材者が犠牲になるのではないか」という現実的な危機感を初めていだいたのは、1999年9月に茨城県東海村にある核燃料加工会社ジェー・シー・オー(略称「JCO」)で臨界事故が起きた時だった。事故臨界では初めて死者2人がでており、取材に当たった報道陣がどれだけ高い危険にさらされていたのかがわかったのは、だいぶ後になってからだった。

この教訓から日本の組織メディアは「自ら身を守る」方策を立てたのである。原子力事故取材マニュアルを初めて作ったり、すでに持っていたマニュアルを改定し取材者の安全をより確実に守ることができるよう「退避」や「装備」などの規定を厳格にしたりした。
災害報道では報道機関として機能するだけでなく、法律によって広報機関の役割も担うNHKでは「一定以上の線量になった時点で引き返す」「指示なくして現場に近寄らない」といった改定が行われた。

これより厳格で緻密な規定が、福島第一原発事故で、これまた生真面目に適用されたのである。
『原子力事故取材の手引き』(2013年5月改訂版)の公表を認めてくれている朝日新聞社を例にとって、どのような判断が下されたのかを見てみよう。2011年3月12日の主な動きは以下の通りである(太字は朝日新聞社の動き)。

・05:44 政府、福島第一原発から10キロ圏内の住民に避難指示
14:22 本社、「理由の如何を問わず、原子力発電所の近くには絶対に近づかない」よう指示。「福島大地原発で燃料が溶融を始め、外に溶け出しているとの情報」。さらに、「近くの住民が避難を始めている場合は、同様の行動を
と指示

・15:36 1号機の原子炉建屋が爆発
・17:39 政府、福島第二原発10キロ圏何の住民に避難指示
・18:25 政府、福島第一原発20キロ圏内の住民に避難指示
20:30 本社、原子力事故本部を設置。原発から30キロ以内には近づかないことを決定

この動きについて、朝日新聞を代表して聞き取り調査に応じてくれた吉田慎一テレビ朝日顧問(前上席執行役員 コンテンツ統括・編集担当)=2014年5月の聞き取り調査当時=はこのように語る。

「組織にとって仲間の安全の確保は最大の問題です。戦地など危険地帯に行かせるにも、本人の承諾などの手続きがありますが、今回の場合は、それよりももう一つ手前の状況にあった。どういう危険なのかが分からないということです。だから会社や組織としては行けとは言えません」「ジャーナリストだったら行くべきだという議論もあるけれども、何もわからない状況でとにかく現場に行け、現場に行けっていうことは組織としては出来ないと思う」

フリーランスなど一部のジャーナリストが取材に入ったことに対しては、こう指摘する。
「危機的な状況の中で個人として献身的なことをやろうという方がいらっしゃるのと、それを組織として記者に指示してやるというのは違うと思っています。危機には危機への組織的な対応ルールがありますから」。
むろん、「危ないからこの地域に入るなと言われてただ漫然としていたわけではなく、何とか安全を確保しながらその中に入って取材ができないか、チャンスをみつける努力はしましたが」

こうした組織メディアの論理は、私には実によく理解できるし共感もする。私自身、一時はこうした指示を出さざるをえない側に立っていた。戦地で我々に向けミサイル攻撃が始まった時に、防空壕から出て取材したいと言い張る記者を押しとどめたこともある。

それでも、なのだが、被災3県に200人、300人、400人という大規模な取材団を送り込んだ日本の大メディアの多くが、まだ住民の避難が行われていない地区にも出入りを原則禁止していた事実は、やはり「何かが、おかしい」と感じるのがまっとうな感性と言うものではないだろうか。そうした素朴な疑問を、蔑ろにしてはいけないのではないか。

では、組織メディアはどう動けばよいのだろう。日本人の悪い癖かもしれないが、まずは米国の組織メディアがどのように考え、対処しているかを知るためにニューヨークとワシントンDCに飛んだ。(その2を読む>>)

-五十嵐浩司(いがらし・こうじ)