危険地の取材は誰がどう判断して赴くのだろう? ~311福島第一原発事故への組織メディアの対応から、「ジャーナリストの報道する使命と安全確保の軋み」と「正しい自己責任」について考える その3 / 五十嵐浩司(いがらし・こうじ) 

■何が日米のメディアの違いを生むのだろう

災害報道(Disaster Reporting)についてニューヨーク・タイムズ紙、AP通信に加え、米国の研究者や現場のジャーナリストに考えを聞いていく中で、しばしば聞かれたのは「日本のメディアのマニュアル依存ぶり」である。「画一的報道」と言い換えてもいいかもしれない。

ニューヨーク・タイムズ紙は言うまでもないが、より「組織の規律」を重んじるように見えるAP通信も、危険地への派遣や撤退はマニュアルに記載された数値によって決めるのではなく、組織のトップを占めるジャーナリストたちがその都度、合議で判断する。いうなれば「報道する使命」と「ジャーナリストの安全確保」のバランスを常に検討していると言える。

こうした違いを生むものは何だろう。
「災害の質の違い」はまず指摘しておこう。自然災害だけをみても、広大なアメリカ合衆国は毎年のようにハリケーンや寒波、熱波、地震などさまざまな災害に襲われる。国土は広く地域的な自然災害に全国からの関心が集まりにくい。このため特定の自然災害に備えるという態勢をとりにくいことはある。

しかし、そうした地理的な条件よりも大きい理由がいくつかあるように思う。まずはジャーナリストを採用する際の道筋の違いである。よく知られるように、米国ではジャーナリストになるには大学か大学院でジャーナリズムの訓練を受け、在学中に大学のメディアやごく小ぶりなコミュニティ・メディアで実務を経験し、それでまずはインターンとして地方メディアなどに採用される。インターンに採用さる面接では、いままでどんな記事や番組を作ってきたのか、いますぐに取り組める「ネタ」には何があるのか、尋ねられるだろう。即戦力である。

欧州は米国ほどではないが、それでも大学や大学院で実務的なジャーナリスト教育を受けてから採用される例が多い。たとえば英タイムズ紙などは、こうした教育を受けていない学生を採用した場合は新聞社の協会を窓口に、ロンドン市内の大学に数カ月間、研修と訓練を委託する。

これに対して日本では実践的なジャーナリスト教育があまり普及しておらず、組織メディア側にも「下手にジャーナリズムなんぞを学んだより、政治や科学といった専門をもつ方が鍛えられる」といった空気が強い。「真っ白な新人をわが社色に染めたい」という日本に強い企業文化を、組織メディアもまた色濃く持っている。このためOn the Job Trainingに加え、さまざまな企業内の研修・教育を行うことになる。そこにマニュアルへの依存が生まれる下地があるのではないか。

次いで考えたいのが「300~400人問題」である。実は日本の組織メディアのリーダーたちへの聞き取り調査の中で、明確に「撤退命令は出していない」、たとえマニュアルに規定があっても出さない、と言い切ったのが産経新聞社だった。リーダーの資質なのか、企業文化なのか。前者の要素もあろうが、「編集局で300人、地方を入れても400人弱」という、産経新聞東京本社の全国紙としては小ぶりな規模がこうした判断につながっている事の方が強いのではないかと私は考える。

実際、調査に応じてくれた小林毅取締役(編集・論説・正論・知的財産担当)には後日、こうした考えに同意していただいけた。つまり、「300~400人」というのが記者ら一人ひとりの「顔が見える、考えがわかる」人数なのだ。

それは逆に、現場の人々が組織トップの意思を確認できる、ということなのだろう。だからこそ出せる「撤退しない」という決断ではないか。産経新聞は、NHKはもちろん朝毎読の3大全国紙に比して発災直後にずいぶんと少ない要員しか被災地に送れなかった。NHKや3紙はスケール・メリットを十分に生かしてきめ細かい報道ができたといえるだろう。だが、「柔軟に判断できるかどうか」では、逆に「スケール・デメリット」が作用するのではないか。

最後にもう一点、「健全なる自己責任感覚」というものを考えたい。

ニューヨーク・タイムズ紙のスッラクマン氏が言うように、危険な取材に赴くかどうかは基本的に記者が自発的に手を挙げることが条件だ。日本の組織メディアでも、先に朝日新聞の吉田慎一氏が触れていたように嫌がるジャーナリストを戦地に派遣することはない。だが、積極的に手を挙げることと「嫌がらない」ことは同じではないだろう。

2003年のイラク戦争のとき、ニューヨーク・タイムズ紙は社内掲示板の張り紙で従軍記者を募っていた。「給与1・5倍、事前の訓練、3か月間の従軍後は特別休暇、経験を本にまとめてもいい」といった条件だったように記憶している。そこには健全な自己責任の感覚があると言えるのではないか。

むろん終身雇用ではないニューヨーク・タイムズ紙の記者たちには、より有利な契約更新を求め「一発当てたい」気持ちがある。日本では考えられない厳しい環境が、記者たちを危険地への誘う側面はあろうが、それを含めて自己責任と言ってよいのではないか。記者が「個」として確立している米国と、集団の中で動くことが求められる日本のメディアの違いが、こうした違いを生んでいるといえるのではないか。

■マニュアルの束縛から、私たちは離れられるのか?

組織のリーダーとして従業員の安全を確保する手立ては講じつつ、報道の使命は果たす。それが望ましいことであるのは間違いない。NYタイムズ、AP通信の幹部たちが示したのは「その時その時で対応する柔軟さ」だった。「私は現場に行く」という記者らの自主性=自己責任を重視する考えもあった。某国の某リーダーらが自国の国民の命を守りたくない時に使う「自己責任」という逃げ口上とは異なる、本当の「自己責任」である。

日本の組織メディアへの聞き取り調査でも、こうした「柔軟な判断」について触れる発言もあった。共同通信で聞くことができた311後の原発取材マニュアルの改定についてのものである。河原仁志編集局長(2015年当時)は「あんまり杓子定規な、こういうときにはこうするとか、ここのラインから入っちゃいけないということはあまり意味もないんだということですね」「あくまで目安である。あとはやっぱり自分の頭で判断する・・議論をしたうえで決めるのだ」と語っている。

むろん、こうした柔軟さがその後、共同通信の中でどのように生かされているのか、またはいないのか、確認する必要はあるが、こうした日本の大規模メディアが陥りがちな「マニュアル遵守」からやや離れた柔軟な姿勢が、「使命」と「安全」の相克を乗り切る第一歩なのだろう。

同時に指摘しておきたいことがある。
フジテレビの箕輪幸人・常務取締役報道局長兼解説委員長(2014年4月当時)は、福島第一原発1号炉の爆発を日本テレビ系の画像で見た瞬間、規定を上回る「40キロ離れろ」と指示した。「40キロ離れれば、どんな風向きでも大丈夫だと思った」からだという。

読売新聞は311後に作成した「取材報道指針」(2013年改訂版)で、「大規模災害」という項目を新たに作り、そこで「自分自身と家族の安全を最優先する」と記した。前出の朝日新聞『原子力事故取材の手引き』(2013年5月改訂版)も「取材の基本手順について」の第1項は「原稿より安全」である。

こうした判断も、私は立派だと思う。マニュアルに縛られることなく柔軟な判断で記者たちを避難させるのでも、やみくもに現場に飛び込むのではなく、安全が、それも家族をも含む安全を最優先せよと説くのも、「硬直化したマニュアル遵守」とは異なる発想につながる姿勢だと思うのである。311の経験が、組織メディアの発想に「幅」を生んだように私には思える。

                ◇◇

最後に、冒頭に記したフリーランス・ジャーナリストの「自分で考え、自分で判断する」原則について、賛成ながら危うさも感じることを指摘しておきたい。危険地を取材する訓練や倫理は、どこでどうやって身につけていくのか。とくに若いフリーランス・ジャーナリストにはOn the Job Training以外に、どのような訓練、教育の機会があるのか。組織メディアで働くのか、フリーランスかを問わず訓練、教育を受ける場が必要なんだろうなあ、と思いつつ、これについてはまた別稿で考えてみたい。

-五十嵐浩司(いがらし・こうじ)