私がシリア国内取材をした理由 ~読売・産経に危険地取材を「撃たれた」元記者の回想~ 貫洞欣寛(かんどう・よしひろ)

私達70人ほどの報道陣は、それぞれカメラやマイクを手に街を歩いた。辻ごとにYPGの民兵がカラシニコフ銃を手に立っていた。私達を警備していたのだ。多くの小路で空中にワイヤーが張られ、カーテンやシーツがたれ下げられている。民兵に聞くと「ISとの戦闘中、狙撃を避けるために目隠しを張った」と説明してくれた。私達はその後、クルド語とアラビア語で「自由広場」と書かれた町中心部のロータリーに案内された。そこにPYDが作った自治組織の幹部が現れ、「再建のため各国の支援を」と訴えた。やはりこれは、トルコ政府とPYDが事前に準備し、「解放」をアピールして支援を呼びかけるための場だったのだ。

コバニ中心部で開かれた、クルド人勢力による会見。これが、報道陣を入れた最大の理由だった。

コバニの街でISの脅威を感じることは全く無かった。YPGが米軍やペシュメルガ(イラク北部クルディスタン地方政府軍)の助けを借りてISを駆逐したばかりなのだから、当然と言えば当然の話だ。むしろ気になったのは、あちこちに転がる不発弾だった。不発弾はコバニだけでなくレバノンやイラク、アフガニスタンなど世界各地で、紛争が終わった後も住民を苦しませ続けている。軍務経験のあるプロの手でないと、安全に処理できないからだ。シリアの内戦が終わったとしても、世界的な不発弾処理の支援の輪を拡げないと、安寧な市民生活の再建は難しいだろう。

私と同じころアレッポに入った春日記者は、アサド政権の報道ビザで入国した。私も政権側のビザで政権側支配地域に入国したことがあるから分かるが、取材には必ず情報省の役人が立ち会う。道案内や通訳をしてくれるが、一方で「お目付役」でもある。シリアは中東随一の強権的な警察国家だけに、記者には情報省の同行だけでなく、監視と警護両方の意味で情報機関による極秘の尾行がついていたとしても全くおかしくない。そしてアサド政権にとって、陣地争いが続いていた当時のアレッポの政権側支配地域に記者を入れるということは、政権側支配地域の安定ぶりを示す好機でもある。だからこそ、記者および同行する情報省の担当者の安全確保は重要だ。政権側は威信をかけて春日記者を警護していたといっておかしくないだろう。

こうした状況で、あの時の私や春日記者がISに拉致される危険性がどの程度あったというのだろうか。「いつ拘束されてもおかしくない」と産経にコメントした外務省幹部は、どんな情報や根拠に基づいて発言したのだろうか。

私達が当時、危惧していたのはISの拉致ではなく、アサド政権やPYDなどの有形無形の誘導で彼らの望む方向に記事を書かされてしまう可能性や、前述の通り不発弾の爆発に巻き込まれたり流れ弾に当たったりするといった不慮の事態の方だった。ISに拉致される危険性が高いと感じれば、そもそもコバニに入ることを避けている。

当時、読売や産経がどういう問題意識で私達を後ろから撃ったのか、今もって理解することは難しい。紛争地取材の経験がある記者であれば、危険性について私達と同じような判断をするはずだからだ。

あの記事が出る以前、読売や産経の特派員もさまざまな紛争地で私達と先を争うように現場に向かっていた。時には危険情報を共有して助け合ったり、仕事が終わった夜に一緒に軽く飲んで気分転換したりすることもあった。2011年8月にリビアの首都トリポリを反体制派が掌握した時は、産経など複数の日本メディアの記者が、トリポリ入りで先行した私の泊まっていたホテルに「僕もそっちに行きます」と集まり、そこが一時、日本人記者の梁山泊のようになったこともある。リビアにも当時、外務省による退避勧告が出ていた。

リビアで各社が先を争った2011年から、大手紙がシリアでの他紙の取材行動を批判的に報じ、政府が「危ないから」と報道関係者からパスポートを取り上げる事態にまで至った2015年の違いは、どこにあるのか。

それは、紛争地での危険度の推移といった現場レベルでの現実的判断に基づいた変化ではなく、紛争地を取材すること自体をどう考えるのか、外務省の勧告に従わないことをどう考えるのかという、東京での考え方の変化にあったと私は思う。つまり、後藤さん拉致事件への政府の対応や安倍首相の中東訪問を巡る評価などを含め、国内世論をにらんだうえでの安倍政権による政治的判断が大きく働き、さらに昨今話題の霞ヶ関による「忖度」まで、そこに加わったのではないか、ということだ。

それが証拠に、外務省は「危険だから」と杉本さんからパスポートを取り上げて、代わりに「この旅券はシリアとイラクでは無効」という注釈が明記されたパスポートを発給してきた。一方、シリアやイラクと同程度かそれ以上に危険なソマリア、リビア、南スーダン、アフガニスタンといった地域に関する注釈はない。彼の安全を確保するのがパスポート取り上げの大義名分なのであれば、なぜシリアとイラク入りだけを禁じるのか、さらなる危険地への入国も禁じるのが筋というものだろう。朝日を始め複数の報道機関の記者は、その後も継続的にシリアに入っているが、私を含めそのだれパスポートを取り上げられていない。なぜ、杉本さんのパスポートだけを取り上げたのか。

政権が代われば、政治判断も当然ながら変わる。一方で「紛争の現実とそこで苦しむ人々のことをできる限り現場に近づいて伝え、社会で共有する」というジャーナリズムの根本は、古今東西変わらないはずだ。今ここで「危ないから行くな」という「空気」に流されて現場行きを自粛する風潮が生まれたら、その後の日本ジャーナリズム全体に大きな禍根を残しかねないと私は危惧している。

コバニの廃墟で、クルド民兵と筆者、トルコ人同僚

余談だが、コバニ取材を終えた数日後、私はヨルダンの首都アンマンに移動した。そこで、私達を批判的に取り上げた某社の旧知の特派員に出くわした。
「いったいあの記事は、何のつもりだ」と詰め寄ると、彼は「いや、あれを書いたのは僕ではありません。東京です。政治部です。あんなこと書かれたから僕らも現場行きを狙っていたのに行けなくなっちゃって、困っているんです」と本当に困った表情で返してきた。あの記事が出て以降、紛争地の現場に行けなくなった身の彼は今、どんな思いで仕事を続けているのだろう。彼は今も現役のサラリーマン記者だから、社名と個人名はここでは伏せておく。

今シリアで拘束されている安田純平記者とは、私は残念ながら直接の面識はない。でも当時、私達が批判にさらされるなか、ツイッターや各種集会等での発言で、以下のように弁護してくれた。

安田純平‏ @YASUDAjumpei 2015年1月31日
政府側地域に入っている朝日はアサド政権が威信をかけて護衛しているだろう。ISに捕まるなんてそうそうないわな。現場に入るかどうかの判断基準は技術的に可能かどうかのみ。政府が取材するなと言ったら取材しない新聞ってもう廃業したほうがい...

安田純平‏ @YASUDAjumpei 2015年1月31日
あーコバニも入っているのか。報道陣のツアーだな。YPGがISを駆逐したあとにアピールのために案内している場所でISに拉致られるってのもなかなかないと思うけどな。

これを目にしたとき、「さすが、現場の状況をよくご存じで」とうなった。
私は当時、朝日新聞の社員だったため批判に対し個人として反論することは難しかったし、日々の取材と出稿作業に追われてそんな余裕も無かっただけに、安田さんがあげてくれた数少ない理解の声に感謝した。それだけに、今の彼の状況が残念でならない。安田さんの無事の帰還のため、私もできる協力は惜しまないつもりだ。

貫洞欣寛(かんどう・よしひろ) ジャーナリスト
1970年広島市生まれ。1994年から朝日新聞社に勤務。社会部などを経て2004~2007年、2010~2012年に中東アフリカ総局員としてイラク、パレスチナ、リビア、シリア、イエメンなど中東各地の紛争を取材。2014~16年11月、ニューデリー支局長。同月に退社し、独立。

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