安田純平さん拘束事件の経緯

■2015年6月23日
安田さんトルコ南部の国境を越え、シリア入国。連絡断つ。

「2015年6月22日午後8時過ぎから、安田純平氏と無料通話アプリの文字チャットでやり取りをした。安田さんは、その際、「これからシリアに向かうべく国境地帯に向かっている」と伝え、8時20分の送信を最後に、連絡が途絶えた」 (当時、安田さんと連絡をとっていたジャーナリストの話)
※トルコとの時差6時間を考えると、連絡が途絶えたのはトルコ現地時間午後2時過ぎである。

■7月10日
岸田外務大臣の記者会見で、フジテレビ記者が「安田純平さんがシリアで連絡が取れなくなっている状態にあることについて、外務省に情報は入っているのか」と質問。岸田外相は「少なくとも今現在邦人が拘束されたという情報には接してはおりません。(安田さんが今シリアに入っているということについて「私(大臣)は確認はしてはおりません」と答える。

■12月22日
国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(本部・パリ)のアジア太平洋デスク、ベンジャミン・イシュマル氏が、安田氏がシリアのヌスラ戦線支配地で武装勢力によって拘束され、期限を切って身代金を要求されていると発表。拘束者は、要求に応じなければ、安田氏の処刑か他組織への身柄の転売もあると脅しているとし、「救出のため日本政府に尽力するよう求める」と主張しているとする。

■12月28日
「国境なき記者団」は、安田さんに関する12月22日の発表について、「確認が不十分だったとして」を取り消した。1月6日には「国境なき記者団」を代表して、クリストフ・ドロアール事務局長が「安田純平氏のご家族、ご友人、同僚の方々、 日本のメディア関係者、国民の皆様に深くおわびする」と謝罪した。

■2016年3月16日
安田氏とみられる男性の動画がフェイスブック上で公開された。「こんにちは。私はジュンペイ・ヤスダです。今日は3月16日、私の誕生日です」で始まる英語のメッセージ映像はおよそ1分10秒。フェイスブックに公開した人物は、ヌスラ戦線の「代理人」を 自称する人物から映像を入手したという。

声明の全文(朝日新聞より)
こんにちは。私はジュンペイ・ヤスダです。そして今日は3月16日、私の誕生日です。 彼らに自由に話しても良いと言われ、メッセージを送ることができます。
私は妻、父、母、きょうだいを愛しています。いつもあなたたちのことを考えています。あなたを抱きしめたい、あなたと話がしたい。しかしもうできない。私が言えることは、どうか体に気をつけてください。
42年間の私の人生は、おおむね良かったです。特にこの8年間は幸せでした。
私は、私の国に対して言わなくてはならないことがあります。
どこであれ暗い部屋に座り、痛みに苦しんでいても、そこには誰もいない。答える者も、反応する者もいない。目に見えないし、存在しない。気にかける者もいない。

同日、菅官房長官は記者会見で「そうしたこと(身代金要求)については承知していません。ただ、(身代金は払わないという)政府の対応方針が変わることはありません」と語る。

■5月29日
安田さんとみられる男性が「助けてください。これが最後のチャンスです。安田純平」と日本語で書いた紙を示す画像がインターネットで公開された。

■5月30日
菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で、シリアで行方不明になっているフリージャーナリスト、安田純平さんとみられる男性の画像がネット上で新たに公開されたことについて「邦人の安全確保は政府の最も重要な責務だ。そういう認識のもとにさまざまな情報網を駆使して全力で対応している」と強調した。菅氏は、画像の真偽について「分析を徹底している」と具体的な言及を避けた。(産経新聞より)

■6月29日
安田さんを拘束しているとされるイスラム過激派組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線(現・シリア・ファトフ戦線)」の「代理人」と称するシリア人男性が「事件からの撤退」を表明したと、日本の関係者に伝えてきた。「日本政府が拘束犯の要求に反応せず、仲介に失敗した」ためとしている。そのシリア人男性は、5月末の画像公開後、日本のメディアの取材に対して、日本政府が1カ月以内に交渉などを始めなければ、身柄は捕虜交換で過激派組織「イスラム国」(IS)に引き渡されるだろうと語っていた。

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