【それでも私は記録する】 ―イスラエル兵による“処刑”報道の代償―  土井敏邦 ジャーナリスト

パレスチナ人のジャーナリストで人権活動家のイマド・アブシャムシーエさん

事実を伝えることで、ジャーナリストは時には命の危険を晒される。その現実を、私は昨年秋、パレスチナの現場で目の当りにした。

パレスチナ人のジャーナリストで人権活動家のイマド・アブシャムシーエが偶然、その後世界中を震撼させたスクープ映像を撮影したのは昨年3月24日、ヨルダン川西岸最大の街ヘブロンの中心地でのことだった。
2人のパレスチナ人青年が検問所でイスラエル兵にナイフで襲いかかった。2人は即座に銃撃され1人は即死、もう1人は路上に倒れた。その直後、青年は至近距離から兵士に頭部を銃撃され“処刑”された。イマドはその瞬間をカメラでとらえたのだ。

その映像はロイター通信やネットによって世界中に流れ、非難が沸き起こった。イスラエル社会にも激震が走った。国民の世論は「あの兵士はテロリストから国民を守ろうとした」という兵士擁護の声と「ユダヤ人とイスラエル軍の価値観に反する残虐行為」という非難の声の真っ二つに割れた。その議論はやがて国防相が辞任する事態にまで発展する。

一方、撮影したイマドは、これまでの平穏な生活が一変する事態に追い込まれた。映像が公開された当日から、脅迫と攻撃が始まったのだ。「お前と家族を焼き殺す」という脅迫電話。事件の翌日からは連日、近くに住み着いたユダヤ人入植者たち数十人が押しかけイマドの家を襲撃しようとした。イスラエル警察が阻止し難は逃れたが、投石など暴行や電話やフェイスブックなどによる脅迫は続いた。

一方、イスラエル当局によるイマド一家の取り締まりも始まった。家の前に兵士たちを立たせ、親族、友人らの来訪も禁止された。
「外に出ると攻撃されるのではと恐れ、家に戻ると、その家が襲われるのではないかと思ってしまうんです」とイマドは告白する。「私があの映像を撮影した日から、私の生活は完全に変わってしまいました。妨害や暴行のために、仕事にも以前のように打ち込むことができません」
BBCやCNN、アル・ジャジーラなど世界中の主要メディアの記者やカメラマンたちが押しかけてきてイマドに長時間インタビューした。しかしその後、その報道のために命の危険にさらされるイマドに救援の手を差し伸べようと戻ってきたメディアは1つもなかった。

自分自身と家族の生活と生命が脅かされ続けるイマドに私は敢えて、「自分と家族を守るために、今の仕事を辞めようとは思いませんか」と訊いた。するとイマドはこう答えた。
「撮影し記録する仕事をですか?どんなに脅迫や暴行を受けても私は止めません。“記録すること”によって私はイスラエルの“占領”という不正義と闘っているんだと思っています。この記録するという仕事は、『占領がパレスチナ人を抑圧する残忍な犯罪である』という世界に向けたメッセージなのです。また次の世代への記録のメッセージでもあります。その信念が、私が記録する仕事のエネルギーになっているんです」

事件からほぼ1カ月後、射殺した兵士は故殺(一時の感情によって生じた殺意で人を殺すこと)と不適切な行動の容疑で軍に起訴され、その1カ月後の5月から軍事法廷で裁判が始まった。現場を撮影したイマドも証人として証言台に立った。イスラエル右派グループが恐喝や抗議デモで出廷を阻止しようとしたが、イマドは怯まなかった。
そして今年1月4日、軍事法廷は被告の兵士に有罪を宣告した。これが、有罪のきっかけを作ったイマドと、彼が所属する人権団体のスタッフたちに対する脅迫や暴行を強める結果となった。
今年1月10日、イマドの仲間から私の元に英文メールが届いた。
「3日前、入植者たちから投石の攻撃を受けました。1週間前には、『殺す』という脅迫文が届いています。いま私たちの人権団体スタッフ全員が標的になっているようです」

「危険地」とは戦場に限らない。武力によって支配される“占領地”でもまた、現地の事実を伝えようとするジャーナリストたちは、その不都合な事実を覆い隠そうとする勢力からの脅迫や暴行にさらされる。時には生命の危機にも直面する。
イマドはあの映像をロイター通信に提供するとき、一切の報酬も得ていない。要求もしなかった。その代わりに得た“代償”は「脅迫と暴行、生命の危険」だった。

「“記録すること”によって私はイスラエルの“占領”という不正義と闘っているんだと思っています。その信念が、私が記録する仕事のエネルギーになっているんです」というイマドの言葉は、「なぜジャーナリストは『危険地』へ行くのか」という私たちがいま向き合っているテーマに1つ重要な答えのヒントを提示しているように私には思える。

-土井敏邦(どい・としくに)