危険地報道報告会リポート [1]

≪シリア内戦取材・報道の現在/安田純平氏の拘束から2年≫
2017年4月15日午後6時15分~9時
東京都文京区、文京区民センター
【主催】「危険地報道を考えるジャーナリストの会」
(世話人)土井敏邦/川上泰徳/石丸次郎/綿井健陽/五十嵐浩司/高橋弘司
【共催】アジア文化会館(公益財団法人アジア学生文化協会)

■第1部 反体制派地域での取材   ※コーディネーター川上泰徳

(1)シリア内戦での5度の取材

◇報告者:ジャーナリスト 桜木武史
ジャーナリストの桜木武史さんはシリア内戦について書いたルポ『シリア 戦場からの声 内戦2012-2015』(アルファベータブックス)で2016年度の山本美香国際ジャーナリスト賞を受賞した。シリアで内戦が始まって5回の現地取材の成果をまとめたものだ。桜木さんは現地で撮影した写真を見せながら話をした。川上が聞き手となった。

桜木さんは2012年3月、シリアの首都ダマスカスに入った時の写真を見せた。シリアでは前年2011年3月から「アラブの春」に呼応して、強権体制を批判し、政権の打倒を叫ぶデモが始まっていた。桜木さんはまず政権支持集会の写真を見せ、次にダマスカスで反体制派寄りの人々が暮らすミダーン地区のモスク(イスラム礼拝所)の中で金曜礼拝の後に行われた政府批判のデモの写真を示した。【桜木写真1】

桜木さん「このころはダマスカスでは街頭での政府批判デモはできなくなっていていましたが、政府批判はモスクの中だけにかぎられていました。モスクの外ではデモが外に広がらないように軍ががっちり固めていました。この時はモスクの中だけデモが黙認されていましたが、いまではアサド政権支配地域ではデモ自体ができなくなっています」

当時、ダマスカスから20キロほど離れたドゥーマという郊外の町は反体制勢力が支配していた。桜木さんは「1カ月ほどドゥーマにアパートを借りて住みました。周辺は政権軍が制圧していましたが、ドゥーマは自由シリア軍が支配していた。当時、アサド政権軍や政権系のシャビーハと呼ばれる民兵が町に侵攻してくるので、自由シリア軍が、それに対抗するために毎日市街戦を繰り返していました。戦闘が起きるたびに、町は破壊されていきました」

桜木さんは道路が群衆で埋まった写真を見せた。【桜木写真2】

桜木さん「当時、国連が政府軍と自由シリア軍の停戦を仲介していて、アナン国連特使が提示した調停案によって停戦を迎えた翌日、市民が大規模な反政府デモを行いました。ドゥーマの町全体が自由を求める声に包まれました」

シリア内戦は2012年夏、トルコ国境に近い地域を自由シリア軍が支配したことで、ジャーナリストはシリアのビザをとらなくても、トルコ側から反体制支配地域に入ることができるようになり、桜木さんは2012年10月-11月、2014年5月にそれぞれ、トルコ国境に近いアレッポやイドリブの反体制地域に入って取材した。

桜木さんは自由シリア軍の写真の兵士の写真や、アルカイダ系とされるヌスラ戦線(現・シリア征服戦線)の写真を見せた。さらに政府軍と自由軍との激しい戦闘で破壊され、廃墟となったビルの写真を示した。

2014年に行ったアレッポでは、政権軍による空爆や樽爆弾で廃墟が広がっていた。【桜木写真3】

桜木さん「樽爆弾はドラム缶のような容器に爆弾を詰めて空から投下するものです。樽爆弾かミサイルか分からないのですが、近くで爆弾が爆発するので会ったことがあり、地震のようでした」

桜木さんは反政府勢力の戦闘員が銃を持って走っている写真を示し、「50メートル先にはもうアサド政権軍がいて、最前線です」と語った。【桜木写真4】

桜木さん 「トルコからシリアに入りました。ガイドもいますが、ガイドは金に目がくらんで(ジャーナリストを)誘拐するという話を聞いたので、私は(シリア人の)知り合いに頼んで、自由シリア軍の戦闘員を紹介してもらって、トルコ国境まで来てもらって、アレッポに連れてきてもらいました」

前線での取材について、桜木さんはこう語った。
「私が一緒に行ったのは戦闘員なので、週5日くらい戦闘に行きます。戦闘に行く時に『タケシもついてこい』と言って、ついていったら、前線に行っていました。政権軍に近いところは50メートルしかなく、通りを横切る時には、政権軍のスナイパー(狙撃手)に狙われるので、全力で走って移動しなければなりません。そういう場所では、私が先に走って、遮蔽物のところまで行って身を隠して、その後で、戦闘員たちが走ってきて、それを私が写真を撮ります。

自由シリア軍が政権軍からある地域を奪還するために総攻撃をかけるという作戦についていったこともあります。その時には、こういう作戦があるという説明があり、一緒に来るかというので行きました。最前線では、敵が近いので、仲間を見分けるためにピンクのリボンを腕に巻きます。私もリボンをしました。最前線では動けば撃たれるので、動けませんでした」

桜木さんは2015年4月、トルコ国境に近いシリア北東部コバニを訪れた。コバニはクルド人が住む町だが、一時、「イスラム国」(IS)に制圧されていたのを、クルド人民防衛隊(YPG)が奪還した。
桜木さんは建物が破壊されたコバニの写真を示して、「コバニの町は70%が破壊されました。ISが占領していた時の米軍による空爆と、ISによる自爆攻撃と、さらに戦闘によって、廃墟になっていました」と語った。【桜木写真5】

「コバニにはクルド人のメディアセンター経由でメディアツアーに参加して、取材に入りました。破壊され、廃墟となった町や、クルド人の女性兵士やクルド兵の写真をとり、さらに、クルド人が200メートルから500メートルを隔ててISと対峙している最前線にも行きました」

コバニではISとの戦闘で死んだクルド兵士と自由シリア軍兵士の葬式も取材した。【桜木写真6】

桜木さんは5度のシリア取材を振り返って、一番危ないとおもったのは「アレッポで樽爆弾が近くに落ちてきた時や、迫撃砲が落ちてきた時です。前線でスナイパーに狙われた時です」と語った。

それでもこれまで無事に来られたことについて、「反体制地域に入るのに、戦闘員に直接来てもらったり、メディアセンターを通して取材をしたりしたということですが、結局は運が良かったということでしょう」という。

危険を冒してまでシリアに繰り返し入っている理由については、「シリア人が好きだからです」といった。「自分たちも食料がないのに家に呼んでごちそうしてくれたり、危なくなったら匿ってくれたり、お茶一杯で涙することもありました。人びとを取材する中で親近感を覚えて、一度日本に帰ってきても、また入りたいと思いました」と付け加えた。

最後に「シリアが内戦のためにいまのような状況になっているのは非常に残念です。シリア人は本当にいい人達なのだから、早く平和になった欲しいと願います。これからも状況は大変なことになると思うので見て行かねばならないと思う」と語った。

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