危険地報道報告会リポート [2]

(2)ダマスカスからアレッポ取材

◇報告者 TBS外信部記者 秌場(あきば)聖治

※秌場さんは2010年から15年までTBSのロンドン支局に赴任し、その時に、中東支局も兼務していた。報告会ではシリアでの取材のビデオを見せながら、取材の様子を語った。

▽シリア入国
私(秌場)はシリアにはシリア政府のビザをとり3回入り、トルコやヨルダンでは反体制派の人々の取材もしています。

シリアに入るときは、ベイルートに飛び、陸路でダマスカスの車で向かいます。2時間ぐらいでシリア国境に着きます。テレビの場合のビザは、なかなか出なくて申請して、数カ月して、「いつ来たいのか」と連絡があることがあります。車で行く場合は、信頼できる運転手でないとシリアに入ったとたん誘拐されたりしかねないので、入る前にシリアの情報省の紹介を受けた運転手を使います。

国境ではシリア側の税関で、取材機材のチェックなどかあり、2~3時間かかります。衛星電を使う機器について非常にセンシティブです。国境からダマスカスにいく道路は、途中で検問がいくつもあり、内戦が始まった後も無傷です。政権にとっては重要な道だからです。国境を抜けてから1時間弱で、ダマスカスに到着します。

▽ダマスカス市内
入国すると情報省に行き、取材の許可証を持って取材地に行くことになります。許可証は情報省が出すというよりも、情報省が関係機関にお願いして、そこの許可が出て、初めて行くことができるという形です。

情報省の役人が(取材に)付いてくるというと、悪役のようなイメージかもしれませんが、その時は20代ぐらいの女性と、もう一人、アレッポに行ったのは大学出のあんちゃんみたいな男でした。ダマスカスの別の地区にいくにも、検問があって、そこで30~40分、尋問されるわけですが、私たちが尋問されるというよりも、情報省の人が詰問されます。

私が最初2012年にダマスカスに来た時には、商売やっている人たちは「紛争うんざりだ。観光客もこないし、商売はあがったりだ」といっていたのですが、今も基本線は同じで、「アサドさんに頑張って欲しい」と言います。商売人にとっては安定しないと商売はできませんから、それも安定が欲しいという意味では本心かもしれません。しかし、ダマスカス中心部のスーク(市場)でも、大きなテロがあって、何人も死にました。何も問題がないわけではないということです。

▽国内避難民キャンプ
私たちは反政府地域から逃げてきた人々の話が聞きたいと申し込んで、ダマスカスから30~40分、車で走ったところにあるダラヤという場所にある国内避難民キャンプを訪れました。元は反体制勢力が支配してたが、政府軍が去年の8月に完全制圧して奪還した場所です。

政府側の常とう手段として、包囲作戦をし、物資の流入を阻止して兵糧攻めにし、空爆や砲撃を加え、反体制派が根を上げるのをまって、その後、交渉して、戦いたい人は(反体制支配地域の)イドリブに行ってください、バスを出すので、武器もひとつくらい持って行ってもいい、と言って、銃を置く人と一般市民は政府側にいらっしゃいということです。その結果、政府側にくれば、避難民キャンプにくる人もいるし、自分の親戚の家に身を寄せる人たちもいるようです。

ダラヤという非難民キャンプは、私が見たほかのキャンプに比べて居住環境がよく、政府側としても(外国メディアに)見せたいところでしょう。(新聞、通信社など)ペンの取材と比べて、テレビの取材は顔をさらすことになるので、しゃべるハードルはペンの取材よりも高くなります。私たちが避難民キャンプに取材に行った時に、ちょうどストーブを配っていました。これはたまたまだったのか、私たちが取材に行くからそれを撮影させようと思って配ったのかは分かりません。

誰か家族に話を聞きたいというと、ある家族に案内してくれました。武装勢力に入っていたというお父さんに話を聞くと、武装勢力に入らないと食べ物がもらえないし、家族を養うことができないから、しょうがなくて入っていたのですと言います。しかし、いまは住むところもあるし、政府に感謝していますといいます。これが本心かどうかは分からない。しかし、いまの状況では彼らはそういうしかないですね。政府の庇護下にあって、私たちが情報省の役人とともに取材にくるのですから、これが唯一の答えです。本心はどうかは分からない。

別の家庭に行きました。政府軍の包囲作戦について聞きましたが、食料も不足し、栄養失調で流産してしまう妊婦さんもいたが、そういう状況になるもの、反体制組織が外にだしてくれなかったという話になり、包囲している政府を批判することはないです。そのように答えるのが正解ということですが、政府の包囲作戦によって、そのようなことが起きていたことは漏れ分かるということです。

▽アレッポ取材
アレッポに行くのは情報省の許可が必要ですが、ダマスカスにいる国連の安全担当者と会って、安全に関する情報を仕入れて、大丈夫かどうかを聞いていきます。
朝6時くらいに出て、8時間かかります。一台の車が故障しても止まらなくていいように、2台の車で行きます。ダマスカスからアレッポまで22カ所の検問があり、ほとんど政府軍の検問でしたが、一か所(アサド政権支持の)シーア派民兵の検問がありました。

アレッポに到着したのが午後2時くらいです。政府側が支配しているアレッポの西側は、電力不足などはありますが、普通の街の光景で、店が営業し、平和そのものに見えます。しかし、(反体制勢力が支配していた)東の方に行くと、光景は変わってきます。私たちがアレッポに行ったのは、アレッポ東部が政府軍に完全制圧されて、一か月後くらいです。西側から東側に行く道は、「スナイパー通り」といわれて、動くものはみな撃たれるというような状況でした。

▽アレッポ旧市街

反政府勢力が支配していた旧市街にアンタキヤ門から入っていきました。そうするとトンネルがあり、情報省の人が「反体制が使っていたトンネルだ」と言います。このトンネルは決まりごとのように見せられます。

旧市街のスーク(市場)も行きましたが、本来なら観光客や住民であふれている場所も、破壊されて、いつ戻るか分からない状況です。屋根が落ちているのは、政府軍による砲撃や空爆によるものです。もともとは靴の修理工房だったというとこに人が戻ってきていました。その人は5年ほど避難していて、戻ってきたら、この有様だ、ということで「非常に腹が立つ」といいましたが、誰に腹が立つのか、については明言しない。

この時のインタビューでは、昔からTBSと働いてくれているアラブ人を一人連れていきました。訳がちゃんとされるかという信頼性もありますし、テレビではインタビューを編集するのに徹夜作業になることもありますし、そのような作業を一緒につきあってくれる通訳が必要という事情もありました。さらに何よりも重要なのは、自分たちを絶対裏切らないアラブ人が一人いることがだと必ず必要なことだと私たちは考えています。

情報省の担当者が、反体制派が武器をつくっていた場所があるというので、行ってみると手製の手りゅう弾のようなものがありました。他にもパイプに爆薬を詰めた手作りの武器もあり、それも撮影しました。しかし、取材を終わって気が付いてみると、それらの各種の武器が博物館のように陳列されていたようで、それは私たち外国メディアに撮らせるために置かれたものではないかとも考え、そのような原稿にもしました。

中にいた人に包囲作戦のこと聞くと、食べる物は何もなかった、大変だったといいます。親子の話を聞くと、お父さんは反体制派に非常に批判的で、(反体制派に)家も奪われ、人間の盾にされたと話していました。子供が10才でしたが、戦争で学校に行っていないので読み書きができないと、父親が言っていました。お父さんは反体制派のせいで学校に行けなかったというのですが、男の子に「なぜ、学校にいけなかったのか」と聞くと、男の子は「空爆があったから」と答えました。空爆はアサド政権がやっていたことですから、親と子で答えが違うのですが、アラブ世界の中でも識字率が高かったシリアですが、内戦のせいで、子供にいけない「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」が生まれつつあるということがあります。

ちなみに、インタビューする時に、質問内容を制限されるのかということですが、制限されることは全くないです。情報省の人も、下手なことをいうことはないとおもっているのかもしれません。

商店も工場も、モスクも破壊されています。さきほど紹介された市民ジャーナリストの命がけの仕事とは違って、戦いが終わった後の静かな映像ですが、それでも伝わるものはあるだろうと思います。町が戦場になるということは、人が働いていた場所であっても、遮蔽物とか、隠れいる場所とか、敵が潜んでいる場所としかみえなくなり、このように徹底的な攻撃が行われるということです。

道でであったおじいさんに話しかけて、家を見せてくださいというと、いいよということで、近くだというのですが、かなり歩かされました。情報省の役人もついてくるのですが、人々の話を聞くのを、一生懸命聞いているかと思えばそうでもない。おじいさんの家は典型的な旧市街の家で、彼に内には屋根に穴があいていて、砲弾がおちたのでしょう。彼が亡くしたのは、奥さんと、義理の娘さんがなくなっています。奥さんとは50年くらい連れ添ったということでした。カメラがないところで、「どっちの砲撃ですか」と聞きましたが、答えたがらない。周りの状況から、政府軍側だろうとは推察できます。そのおじいさんは、衣料品店を市場でやっていたということですが、それもできなくなって、もう70才にもなり、もう一度やり直す気力もないということでした。しかし、私たちにはすごく甘いコーヒーを入れてくれました。

▽司会の石丸次郎のコメントと質問

秌場さんの映像をみて、やはり物事は単眼ではなく、複眼で見た方がいいとあらためて感じました。桜木さんの取材があり、市民ジャーナリストの取材があり、さらに政権側から入る秌場さんの取材がある。市民ジャーナリストが撮影した、爆撃の後で人々が逃げまどう中で救出作業をしている映像がありましたが、その映像と、秌場さんの映像が重なって状況が立体的に見えたなと思いました。

質問です。後藤健二さんが「イスラム国」(IS)に殺害された後、外務省はジャーナリストがシリアに行くことを批判し、一部のメディアがそれを支持するような動きもありましたが、TBSではシリアにいくことについてはどうでしたか。

秌場 外務省のいうことも考慮はしますが、それよりも実際に安全なのかとうかというほうが問題です、組織として業務命令として記者を現場に行かせるわけですから、何かあったら会社が責任をとるわけで、本当に大丈夫かと言うことは繰り返し言われます。特に後藤さん事件の後、人質にされるのではないか、誘拐されるのではないかという懸念が増加したのはまちがいない。あれは、ジャーナリストを宣伝の材料にし、お金を引き出そうという過激派の意図が明らかになったもので、私たちが、反体制地域のイドリブの方に行くということはできないです。外務省が言うのも外務省の仕事だと考えますから、入った後で、現地で連絡することはあります。
(リポート[3]に続く)

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